エイブラハムとの対話:娘に振り回される

母親と娘との関係についての相談です。親にとっては共通の悩みかもしれません。自分勝手に暮らす娘にどのように接すれば良いか?という相談です。この対話から、子供との関係の中で親はどのように接し、育てれば良いか?ということが分かります。そして、それは他の人間関係についても有効となります。
エイブラハムとの対話:娘に振り回されている
相談者:教えることについてお話されていましたが、わたしは人生のかなりの部分を問題だらけの19歳の娘に振り回されています。
彼女の傍にいたいと思うのですが、いつ口を出せばいいか、いつ黙って見守るべきか、そしてその瞬間を耐え忍ぶべきなのはいつか、などに気を巡らせるのです。それが今の生活の大半なのです。
エイブラハム:それなら、首をつっこまなければ?
(笑い)
相談者:こう考えてください。あなたが人生のほとんどの事柄において気分良く暮らしているとしましょう。そして大切な誰かが難しい時期にさしかかっているとします。
この場合2人は非常に異なる波動の上にいて、お互いが聞こえていないのです。お互いがどこから来ているのかなど、理解できずにいるため、理解を強要すると2人とも不快な思いをします。
しかし、誰かを見て、その人を抱える願望からその人の中にどのような願望が生まれるのかを観察することはできます。そして、実際の彼女を観察できなくても、精神的にそこに行って観察することはできます。
また、彼女の人生や彼女が発射していると思われる願望に注目し、それを自分がソースエネルギーと調和する理由にすることはできます。
つまり、現在はとても惨めなところにいる人に良い事が起こることを期待することで、自分も幸せを感じられるのです。そうすることであなたの価値は高まります。
なぜなら内なる願望の中で最良のものを活性化できるからです。それにより、引き寄せの法則があなたを願望に引き寄せるときにあなたはより良い経験ができるのです。
感傷的になってしまえば彼女のやることなすこと全てから目が離せなくなります。そしてあなたの彼女に対する波動は彼女の人生に支配されるのです。
すると引き寄せの法則が良いものも悪いものも醜いものも一緒に引き寄せて、波動的に最良のものを求めていても、その只中におかれるのです。
相談者:自分を抑えて良いことを考えるようにしています。ただ、彼女が危険なことをやっているかもしれない時が不安なのです。
エイブラハム:一つ確かなことは、彼女が危険なことをやっているのではないかと考え、それに対して彼女に警告すると、かえって危険を引き寄せます。彼女が危険なことをやっているのではないかと考えると、あなたは怖くて仕方ありません。
そうする間にあなたはロケットを発射し、それに乗ろうとするのです。つまりあなたはむしろ自分の望むような結果を心に描くべきなのです。それが彼女の人生経験の向上に寄与するのです。
誰もが分かっていることです。誰かにこうしろなどと言われて、かえってその人が嫌がることをしたくなった経験はないでしょうか?自分の自由を主張するために。
相談者:ええ。
エイブラハム:経験あるはずです。話を戻しましょう。彼女とは毎日顔を合わせますか?
相談者:週数回です。
エイブラハム:なぜ週に数回?
相談者:娘は19歳なのですが、幼稚なのです。家のルールを守れないから、外にアパートを借りて暮らしています。でも彼女とは繋がっていたいんです。
エイブラハム:もう少し細かく言ってみましょう。守れないルールとは何ですか?
相談者:飲酒やドラッグや香水なんかです。
エイブラハム:ルールを作ったのは?
相談者:夫とわたしです。
エイブラハム:家のルールを破ったのですね?
相談者:はい。
エイブラハム:だから家の外で暮らしている。
相談者:そうです。
エイブラハム:それを別の言葉で言い変えましょう。彼女は自由になった。ルールを破って自由を手に入れた。
相談者:自由になったことを喜んだかと思うと、同じ家に暮らせないことに腹を立てたりしてもですか?
エイブラハム:もちろん。それが人間関係です。例えば人は結婚の安心感が好きで束縛感が嫌いなのです。
(笑い)
つまり、つきつめれば分かるはずです。事の状況、または枠組み自体はあなたの気分に左右しません。精神的なアプローチが気分を決めるのです。だからわたしたちは自由になれるほどたくさんルールを破った彼女を賞賛したのです。
ルールを破ったから家を叩きだされたということもできますが、わたしたちは必然だと思います。親元にいて自由を望む子供たちがこうしたことを行うは珍しくありません。
わたしたちが感じるのはあなたの強い善意ですが、あなたは娘の精神年齢が低いとずっと思ってきました。そのように彼女を見れば、言葉にするしないは別にしてそれがあなたの波動になります。誰にとっても心地良いものではありません。
ぜひご理解いただきたいのは、重要性や価値を持つ唯一の指標とは自分が自分の願望との関係においてどの位置にいるか、という意識的な気づきです。もし自分が誰かと比較されるなら、有効なガイダンスを見つけることはできません。
彼女の場合、これとこれとこれとこれとというように色々比較された挙句の果てに、彼女自身が低水準の生き方をすると決めてしまったのです。
そうした低い水準の生き方を誰がどこでやっているかなど、わたしたちには興味がありません。低い水準の人間などいません。世間から誤解されてきた人々や、世間から落伍者とみなされてきた人々で自分たちだけの特別な才能を持っている天才は少なくありません。
ですから人が自分を図るべき指標は自分の願望なのです。お嬢さんも何らかの理由でそれを知っていて、自分のソースによって導かれたのです。こっちへおいで、こっちへおいで、と。
一連の流れはこうです。鬱の状態で彼女はソースによって鬱よりもマシな状態へ招かれました。それがあなたの目にはルールを破っているだけに移りました。そして彼女は家を追い出されましたが、それもソースの招きです。
つまり、彼女が誰かと比べられる場所に留まり続ければ、明るい光の元へは行くことができないからです。誤解しないでください。あなたの行動は子を愛する親として当たり前のものです。
お嬢さんは家を出て、常に詮索される場所から、やや詮索の機会が少ない環境が少ない場所へと行きました。彼女が自立にむけて踏み出していることを認め、彼女が信頼に足るガイダンスを自らの内に宿していることを信じ、そのしるしを探してください。
相談者:娘はいつも、わたしたちとの間に垣根を作りたがります。わたしたちに頼らないでやることも覚えなければなりません。
エイブラハム:興味深いのは、親というものは子供に自分を投影し、子供の幸福が流れ出すエネルギーの渦、ヴォルテックスとして自分を認識することです。
ほとんどの親たちは衣食住を与えるだけでなく、子供たちのものの考え方についても教育を施そうとします。子供が人生を学ぶ上でのボルテックスになりたいと思うのです。そのような環境にして子供たちがさまざまなことを学ばせていきます。
そしてある日、もうお前の幸福が流れだすボルテックスはやめたい。別のボルテックスを探せ、というのです。少し唐突すぎます。
ジェリーとエスターはしばらくの間、自分たちの庭で飼っていたニワトリたちの恩恵を得ていました。二人がある日ニワトリを見ていると「ペニーペニー」という小さな黒い雌鶏が大きな黒い雄鶏といました。
雄鶏はペニーペニーを部屋の隅のエアコンの後ろに連れていき、ペニーペニーが卵を産むのを待っていました。いつも卵は巣に産むのですが、その日は雄鶏がそうさせません。
ジェリーとエスターはペニーペニーがエアコンの後ろに卵を産むのを目にしました。次の日も雄鶏はペニーペニーにエアコンの後ろで卵を産ませました。
そして21日間、雄鶏はペニーペニーをそこにいさせて、21個の卵を産ませました。ペニーペニーがそこを離れようとすると、雄鶏が許しません。雄鶏は卵の上に座れというのです。諦めてペニーペニーが卵の上に座ると、雄鶏は彼女の為に食べ物を運んでくるようになりました。
ペニーペニーがそこに座って21日後に最初の卵がかえり、合計で小さな茶色の足をした7羽の黒いヒナが産まれました。小さなヒナはとても愛らしく、母鶏も大きな関心を持って接しているのが伝わってきました。
母鶏はヒナたちを取りまとめ、餌を与えたりしています。穴を掘ると、ヒナがエサを求めて走って集まるのを繰り返し見ていたエスターは母親が子供たちをまったく踏みつけないのに驚きました。小さなヒナたちは見ていて飽きませんでした。
ある日、ヒナたちはいつものように母鶏の周りに集まりました。しかしエサを待っているヒナたちは母鶏はくちばしで突つきました。エスターが「酷いわね、あなたたちの子供たちよ。エサを待っているの」と言うと、また頭をつつきます。
甘えてくるヒナほど繰り返し突くので、ヒナたちは理解するのです。「分かったよ、お母さん。近くにいたらずっと頭を突つき続けるんだね。」そこでヒナたちは離れます。母鶏は温かく見守りますが、二度とヒナたちにエサを与えません。
ペニーペニーは完璧な親です。つまり、非常に幼いうちに自立心を育んだのです。子供は最初は必ず嫌がります。
相談者:夫が娘の自立心を助長していると思います。だからわたしは自分の願望に集中し、彼にもそうしてもらいます。
エイブラハム:そうしてください。でも楽ではないですね。追い出しておいて依存させるのですから。彼女にとっては無理な相談です。「こっちへ来い、そしてこっちへ来るな」というようなものです。そこで家のルールを守れというような。。。
相談者:夫に別の見方をしてもらうのは望めないので、娘がこうなって欲しいということにわたし自身が集中することにします。
エイブラハム:よろしいですか?ご主人のお嬢さんの見る見方は別に問題ありません。なぜなら彼が願っているのはあなたがたご夫婦が二人共同じように全身全霊をかけて願っているお嬢さんの幸福なのです。それだけは確かです。
あなたはそれを波動的に表現できます。実際の行動で表現しなくてもリラックスできたらあなた自身にもすべきことがあります。なぜならあなた自身もひどく憔悴しているからです。
お嬢さんは一緒に暮らしやすいタイプではありません。ずっとそうだったはずです。あなたの中に見える苦悩はグレて誰にも愛されない子供なら特に母親の愛情を注ぎ続けなければならないと思っていることにあります。
わたしは愛されないものを愛しますというのはあなたの本心ではありません。あなたの本心はこうです。わたしは自然に愛せるものを探します。娘よ、今日のあなたはそれじゃない。わたしがあなたを愛せないのはわたしのせいじゃない。
バイキング形式のランチで得体のしれないものを口に入れて、それが気に入らない自分が気に入らないようなものなのです。美味しくないのであれば別の美味しいものを選んで食べればいいのです。口に合わないからといって、自分を責めるのではなく、美味しいものを選べばよいのです。
それに折り合いをつけて、不可能な基準に自分を合わせようとするのを止め、わたしはあなたの本当に多くの点が大好きと言って、彼女の好きな点をリスト化し、自分が大好きなものを活性化し、それを毎日あなたの波動の中で響く支配的な波動にしてください。
そうすれば、お嬢さんとの関係に変化が起こります。あなたが自分でそのトーンを決められるのです。思い描いてください。トーンを決める人、あるいは先ほどの言葉では、影響を与え、啓発し、感化する人としての自分を。
彼女を素晴らしい存在としてみることを想像してください。そしてそれがあなたの出す波動だと想像してください。高揚はそれほどないでしょうが、彼女の輝きや可能性をみる自分、そして素晴らしい時間を記憶する自分を想像すれば、それがあなたの中で活性化されます。
ではあなたが彼女の中に活性化したものを感じられますか?この世界を波動的にみられたら、と思います。
たとえばジェリーとエスターその他、みなさんの多くはこの世界に真剣に耳を傾けて向き合っていますが、それにより波動を出しています。それをわたしたちは映像的にみていますが、その波動を映像的に説明してみましょう。
物質的世界ではあらゆる種類のエネルギーが彼らをとりまいています。スーパーマーケットでも市街地への運転でもレストランでも彼らは波動を出していますがそうしたさまざまな場所で波動を出している間も周りにはたくさんの人がいます。
そうしたさまざまな場所で波動を出している間も周りにはたくさんの人がいます。そうした人々の中にはジェリーとエスターがいるすぐ傍に立っている人もいます。そして波動的に彼らに近いところにいることで、その人たちはある一線を越えられるのです。
レストランやスーパーであっても突然に喜びの塊が彼らの周りをとりまくのです。そして、波動的にまったく遠い人がいて、そうした人の波動が非常に強ければ、引き寄せの法則により、この人とこの人とこの人が引き寄せられるという具合になります。そして彼らはあからさまに幸せにしたりその波動を出します。
では、こちらの全く波動の遠い人は引き寄せの法則が強固な力のフィールドを張るために例えその場所に行こうとしても入ることができません。つまり、引き寄せの法則がそれを拒むのです。
ジェリーとエスターが強力な幸福でその空間を支配したので、それに一致しないものが入れないのです。
相談者:ではわたしが彼女の長所と思う場をとっておかないといけないということでしょうか?
エイブラハム:いつでもそうなんですが、あるときにネガティブなエネルギーになってしまうんです。良くお聞きください。あなたはまだご自分の波動をキレイにしていません。
近すぎる、そして思い出が多すぎるからです。母親にとっては難しいことです。赤の他人の方が簡単にこなせるでしょう。
だからこそ彼女は他人に惹かれ、家族やりも他人との時間を楽しむのです。しかし、もし自分の波動をキレイにし、ポジティブな点をリストアップし、素晴らしい場所へと足を踏み入れても娘が来ないかもしれないという不安に苛まれるかもしれません。
波動をキレイにしすぎたために彼女が入れないのではないかと。だからこそあなたは波動をキレイに出来ないでいるのです。
彼女が自分のところに来ないと分かると、あなたは今度は自分の方から彼女のところに行こうとします。そして嫌な思いをして彼女を恨むことになるのです。
ですから、この素晴らしい場所に留まって彼女を待っていてください。絶対に来ます。彼女についての素晴らしい場所に留まっていれば彼女はやってきます。
あなたがどれだけ愛しているか聞きたいはずなのです。あなたにどれだけ美しいと思われているかを聞き、感じ取りたいはずです。波動の中でそれを伝えれば、彼女はそれを知ることができるはずです。それが相手を引き上げるということなのです。
相談者:頑張ってできるだけそうしますが、しかしそうした関係もいつかは終わるのでしょうか?
エイブラハム:あなたはとても頑張っています。それだけは覚えておいてください。あらかじめそうしたことに対する準備をしっかりしておくと、関係を長い間保てます。
ほとんどの人がその必要性を認識することがなければ、自分の波動を掃除することはありません。しかしその時点では手遅れなのです。次の機会の為の単なる反省になってしまいます。
相談者:最初はうまくいくんですが、長く一緒にいるうちになかなか。。。
エイブラハム:それなら長く一緒にいないことです。機嫌を治して出て行って。機嫌を治して治して出て行って。機嫌を治して出て行ってくらいにして。完璧です。
それを知り合いの全員に対してやっていけば自分は気分良く過ごしたいのだということが周囲に伝わります。そして気分が良ければ引き寄せの法則でお互いが引き寄せられます。
気分が悪ければ引き寄せられないのです。引き寄せられてもいないときにどちらかが一方が意思疎通を強要するのはよくありません。いい気分にはなりません。
相談者:ありがとうございます。
解説
相談者は娘のことで頭がいっぱいのようです。どのように接してよいか悩んでいます。
エイブラハムの回答は単純明快です。首をつっこむな、と。その理由として、あまりに波動が違う者同士では意思疎通ができないと言っています。それよりも、相手が良くなることを期待していた方が良いよ、と教えています。その方が自分も幸せを感じることができ、更に自分自身の引き寄せにも良い影響を与えるからです。
逆に娘のことに感傷的になると、ますます行動の1つ1つが気になり、引き寄せも、この不安な感情が邪魔をして、自分の願ったものが引き寄せられないと忠告しています。
しかし母親として、どうしても娘が悪いことをしていないか気になると訴えます。
すると、エイブラハムは心配すると、その願望の波動を打ち上げてしまうからやめた方が良いよ、と言っています。それにああしろこうしろと言うと、返って反抗されてしまうと言及しています。
それと、エイブラハムは娘が家のルールを守れないから家をおいだされたというのではなく、ルールを破って自由になるために家を出たのだと解釈できると言っています。
そして、エイブラハムは親の見方、思っていることが、波動として子供に伝わっていると忠告します。比較ばかりされた挙句、自分で低水準の生き方を選んでしまったということです。親としては耳が痛い話です。
娘が今の状態にあるのは、親から比較されたり束縛されていて、「自由になりたい」という願望を発したから。そしてソースに沿って進んだ結果、親と別々に暮らす、ということになったのです。
その後の対話はペニーペニーの例を出し、子供に早くから自立心を植え付けるように勧めています。
後半の話は、まずは自分の波動を整えることに集中し、娘のことは放っておけば良い、と切り口を変えて説明しています。
まとめ
この対話は親としては非常に難しい問題です。
理想としては、子供を信頼し、自立に導き、親は自分自身の波動を良くすることだけに集中すれば良いのです。
でも言うのは簡単で、親として子供のことが気になってしまうのは仕方ありません。特に何か問題を抱えていると思ってしまうときはなおさらです。
どこまで自分自身にフォーカスできるか、ということが試されるということではないかと思います。