エイブラハムとの対話:私たちはなぜ存在するのか

哲学者や神学者の永遠のテーマとなる相談です。
人はなぜ存在するのか?という問いにエイブラハムなりの答えを導いています。

相談者:子供のころからずっと疑問に思っていたことで、もっと広い視点を持つエイブラハムにお聞きしたいのは、なぜ私たちはここにいるのですか?別のところで質問したことも読んだこともあって、その通りだと思いますし、信じます。つまり、拡張する為に歓喜を感じる為にいると。

でもそれはこの場所で何をするためにいるのか?という問いに対する回答で、なぜ私たちやエイブラハムは存在し、宇宙は存在するのか。なぜ何も無い状態ではないのか?それを考えこんでしまいます。でも何かあるに違いない。答えがない堂々巡りのようにも感じるし、答えがずっと見つからずにいます。

この質問は素敵なのかさえ疑問に思っています。この集いの趣旨から少し外れているようにも思えるからです。でも私にとって重要なんです。答えを知ることで、またより深い理解を得て、ボルテックスに入るのが上手くなると思うからです。

エイブラハム:なぜ知りたいのかを正当化する必要はありません。今のあなたの話を聞いていて、興味深かったのは、次のような形で、質問を締めくくったことです。この質問の答えを知れば、完全さと歓喜を感じるボルテックスに引き入れられるだろうから。

これこそが、あなたの質問に対する答えなのですが、まずは出発点をみつけましょう。もし、エイブラハムの考えについて話し合う場があるなら、新しい見方を得るのに役に立つでしょう。この質問についてもそうです。更にまた、わたしたちは既に想像を超えた領域に乗り出しているからです。そこで、あなたの質問を少し言いかえて答えやすくします。

なぜ私たちは、あるいはどんなものも存在するのか?存在する喜びの為という答えでは満足できないとあなたは言いました。それはあなたが望む答えを答え難くしています。

なぜなら存在と拡張の全ては、喜びに満ちた進化への一人一人の探求に基づいているからです。つまり、自分より大きな何か、例えば世界や宇宙がどのように機能するのかを知りたければ、あなたは生き、真実を発見してそれを全てに当てはめて理解する方法しかないからです。

あなたが指すような今にいるとき、何がもう少し良いかについて、新たに進化した理想像があなたの中に毎瞬生まれていることを認識します。

例えば、この会話をもっと良くできた。こうすればあの時はもっと良かった。つまり、そのようにもできたのです。そして、あなたは深く掘り下げたいのです。

例えば、誰が世界を創ったのかという疑問に対して、人が「神です」と答えても、次には「誰が神を創ったのか?」と聞き、人はどう答えていいのか分かりません。

時々、こんなことを聞く人もいます。「何がこの環境を作ったのか?」「思考です」と答えると、また尋ねます。「それなら誰がその思考を考えたのか?」「地球やこの宇宙が存在する前から思考を思考する存在はいたんです」と答えます。全てに先んじて思考がありました。そして現実化とは、ずっと考えられていた思考なのです。そこで、堂々巡りの質問になります。何が先にあったのか?そして。。。

相談者:あるいは、なぜそれでも存在するのか?それが私の質問です。どんな利得があるのですか?わたしが聞きたいのは。。。

あなたが質問を広げて、そこまで取り込んでくれたのを嬉しく思います。それを定義するのはとても簡単だからです。先ほど軽く触れましたが、あなたが物質世界にフォーカスすると、そこで有頂天になって、今まで現実化されたことがなく、知らなかった新たな波動の場所に人生はあなたに行きたいと思わせるです。

でもあなたの内なる存在は現実化される以上にその創造を探求し、波動として先に経験してしまいます。ですから内なる存在からの呼びかけがあって、波動を合わせることで、それに応えるのですが、これ以上の大きな満足はありません。

つまり、物事が起こっても、当初あなたはそれに気づきません。いわば、自然発生的な創造でワクワクすることもありません。でもコントラストを経験すると、内に願望が生まれ、まだ追いついていない願望が生まれたことを認識してワクワクします。それからフォーカスする能力を意識的に使って、自分がどう感じているのかに注意を払います。

更に自分の波動がその場所に収まるまで、充足が近づいていることを感じています。すると、宇宙の法則があなたの欲しいものをもたらし、現実化していくのに気づくようになります。人生が最高のものになります。

あなたの質問は画家に聞いているようなものです。「こんなにたくさんの絵画があるのに、なぜまた描くのですか?」「たくさん彫刻があるのになぜまた彫るのですか?」「たくさんあるのになぜお金を稼ぐのですか?」「なぜもっと探求するのですか?」

非物質世界からのマントラがもっともっとと言っているので、その質問が奇妙に思えるのです。もっと拡張を、もっと愛を、もっと爽快さを、もっと明快さを、もっと機会と冒険を、もっと人生の経験を、もっと生きることを、もっと楽しみを、もっと対話を。。。

わたしたちは非物質的存在としては今日このような対話を持ったこと以上に満足させられるものはありません。物質世界の中でみなさんが前には知らなかった思考だけでなく、新たに生まれた思考をもわたしたちは受け取ります。皆さんの人生の経験は疑問を生み、喜んでわたしたちと交流することをもたらしました。

みなさんの寛容さは素晴らしいです。新しい理解を切り出しつつ、その新たなフロンティアをわたしたちが受け取るのを喜んで許している。あなたはなぜ、と聞きますが、みなさんにとってとても楽しいからです。満足するからです。創造する創造者としの性質です。

そして創造者の思い通りに創造するとき、その満足感は表現し尽くせません。物質的存在である友人のみなさんにとっては存在する喜びの為に存在しているという考えは理解し難いでしょう。

人は聞きます。「その喜びは何?」という問いかけに対して、自由、成長、歓喜の3つがあります。そしてこれらは等しく現れ、等しくもたらされます。みなさんは本当に自由なので、自由でないことさえ選択できます。

みなさんのフォーカスした思考は拡張をもたらします。物質世界にいれば必ず拡張するからです。ですから拡張は不可避です。存在の避けがたい結果です。もしみなさんの目的とするものが歓喜ならば、最も効率的にこれら3つを同時に手にすることができます。

宇宙の法則はみなさんの新しい願望を引き出す為に創られました。でもみなさんはどうして?どうして存在するのか?と答えに満足しません。わたしたちは分かっています。もっと良い答えを掴んでいます。みなさんがもっと願望を抱くように、全てが画策されているのです、と答えてもみなさんは満足しません。みなさんは宇宙の始まりに戻って、わたしたちがどこに行こうとしているのか、いつ始めたのかを知りたいのです。

でも初めの思考がどんなものだったかはどうでもいいのです。わたしたちがいる場所は全ての経験が一人一人が願望を引き起こし、その願望を引き寄せの法則が現実化します。大変都合の良いことは、わたしたち全てが永遠の存在である性質の為に、この最先端の場所から進化を望むとき、ソースはみなさんが望んでいる進化だけにフォーカスするのです

。願望を抱く元になる混乱や苦難のコントラストにはソースは決してフォーカスしません。ソースはその厳格な性質からみなさんが望んでいる進化にしかフォーカスしないのです。

そしてみなさんの死んだ後、また生きている間にもその進化した思考に同調すると、前進する有頂天の経験をするでしょう。ですからこの質問の持つ力を純粋さに応じる答えは、今いる場所から次の場所へ移行する瞬間の気分爽快になる経験の為、全ては存在しているということです。

みなさんは言います。歓喜とは旅にある。道具を車に積み、飛行場まで運転して山まで飛んで斜面をスキーで滑走する。そんな面倒なことをなぜ人はするのでしょう。全ての労苦はスキーで滑るワクワクする瞬間の為だとわたしたちには思えます。

なぜみなさんはそんな爽快さの瞬間を求めるのでしょう。なぜみなさんはコントラストや新しい理想像を知ることに向かうのでしょう。新しい理想像に向かって動くときの波に乗るワクワクする感覚の為でないというのなら。

去年の夏、ジェリーとエスターはラフティングをしました。素晴らしい1日でした。二人は1日中、川の上にいたんです。二人はガイドに「どこに着きますか?」とは聞きませんでした。「ずっと先です」と答えたでしょうから。こうも言いませんでした。「バスに乗り換えていこうかしら?そっちの方が早いわ」。それから「ボートを数百メートル先の目的地の水面に浮かべる。すぐに現実化する方がいいから」。

二人は川下りをしないでこの冒険をすぐに終わらせたいのとは言いませんでした。二人は川下りを続けました。川下りの爽快さを望んでいたのです。顔に水しぶきがかかるのを、ボートに水が入り込むのを、友人と楽しむのを望んでいました。今まで見たことが無い方法で渓谷を見るのも、道具の優れた力を感じてみたかった。ボートの中で生まれる連帯感を望んでいました。二人は旅を望み、川の流れに乗ることを望んでいました。これが全てが存在する理由です。

わたしたちは皆、川下りを楽しんでいるのです。でも、多くの人が感じるように、ボルテックスの外では意味を感じません。
「まてよ?わたしは純粋でポジティブなエネルギーの非物質世界にいればた。全てがうまくいっていた。それから、苦難や戦争、暴力、癌があるここにあることに決めた。なぜ?なぜそうしたんだ?」

それはみなさんがもっと望む為です。もっと望むとソースはそれを受けて次の世代は前の世代の願望の恩恵を受けるのです。

でもこうは言いませんでした。私自身は恩恵を受けないけど、行ってコントラストの中で次の世代の為に犠牲になろう。代わりにみなさんが言ったのは、「いつか現実化する拡張を生み出そう。そして波に乗ろう。私が掴んだ拡張を現実化する波に」。みなさんはよく耳にするでしょう。「旅の喜び」。人生は旅の喜びの進んだものなのです。

つまり疑問も持たず、人生を十分に生きていないのなら答えを得る楽しさは見いだせません。人生には答えを掴む楽しさがあるのです。もし面倒なことをも喜んで引き受けるつもりがなければ、解決したときの高揚感を得ることは無いでしょう。分かりますか?

更にお話しましょう。わたしたちはバスの傍にいるジェリーとエスターを見ていました。部品を調べていたんです。異常事態が起こって、困っていました。みなさんの中にもこの話を聞いたことがある人も多いでしょう。二人はどう手をつけていいのかさえ分かりませんでしたが、最後には、何とか解決した話です。

ある日、ジェリーはバスを停め、エンジンにオイルを入れました。そしてオイルキャップを閉め忘れたのです。気が散っていました。エスターもそのまま運転し、バスの後ろでけん引している車にオイルが飛び散りました。二人は気づきませんでした。エンジンにはオイルがまだ残っていて、故障するまでには至っていませんでした。

でも困りますね。バスを停め、ジェリーはいつも様子を見て回るのですが、その時、オイルが飛び散っているのを見つけました。オイルキャップはどこかにいってしまい見つかりませんでした。彼はエスターに「エンジンの圧力のせいじゃないんだ。バスにある何かで穴を塞ごう。オイルが噴き出るのを止められるように」。

それでエスターは行動を起こしました。「どれくらいの穴?」ジェリーは穴の大きさを描いて示しました。エスターはバスの中を駆け回って探しました。彼女は人生の新たな目的を持ったのです。穴を塞ぐという。

エスターはオイルが飛び散っていたのを心配することなく、新たな目的に生気を吹き込まれていました。それで、彼女は持っていっては「大きすぎ」「今度はコレを」「小さすぎ」「今度はコレを」「十分な重さがない」何度も持っていってを繰り返し、コレはどう?コレはどう?コレはどう?と聞きました。

とうとう完璧なものを見つけました。それは真鍮製のホースの接手で2つの部品が組み合わさり、ホースを楽に留めたり外したりできるものです。エスターは「これはピッタリだと思うんだけど?重さもちょうどいいし。完璧だわ。」ジェリーはそれを見て、「君の言う通りだ」と言いました。

そして、それを穴にかざしていると、継ぎ手の下半分をクランクケースの中に落としてしまいました。コントラストは新しい願望を作りました。どこにいったか分からないので、エンジンをかけることさえできません。二人には、新たな探求、新たな人生の目的、新たな生きる理由ができました。

そこでエスターはまたバスに入って、小さな脚立を引っ張り出してきて、それに上がって懐中電灯でのぞき込み言いました。「見つけたわ。端にある。ホラあそこよ。」
ジェリーは言いました。「君なら取り出せるだろう。私の手は大きすぎる。」

それでエスターは手をできるだけすぼめ、器用にクランクケースの中に指を入れました。触ったのを感じ、指で挟んで取り出しました。その時、二人は愛を感じ合っていたのです。今までにないほど。

(笑い)

人生はより充実し、より甘美なものになりました。お互いまた恋に落ちていました。つまり、今までにいたことのない新しい場所へと移動したんです。それから二人は運転してオイルキャップを置いてある店を見つけ、ジェリーが買いに店に入ろうとするとエスターは言いました。「2つ買ってね。」

(笑い)

ジェリーは「要らないよ。もう2度としないから。今度したら首をくくるよ。」
エスターは「でもあなたが死んだ後もオイルキャップは必要だから。」

(笑い)

同じことをトラブルとかトラウマと考える人もいるということです。二人はそれが人生を甘美なものにしていることを理解しました。人生はみなさんからもっと引き出そうとします。みなさんは自分の本来の姿をどんどん発見し続けています。

皮肉っぽい人は間違えをしなければ解決しようとしなくても済むと言うでしょう。でも解決しようとしていくことがみなさんの本来の姿になることなんです。人生がみなさんからもっと引き出すためにみなさんはこの世界に来ました。

そして人生が引き出しても付いていかないのなら、面倒なことになるでしょう。でも行けば勝利です。存在している理由はこれです。楽しみ、歓喜、拡張、自由、ワクワクする感じ、愛を自分から引き出すために。他の理由では。。。

わたしたちの誰もが存在することを止められません。つまりわたしたち全てはこの最先端にいるのです。気分が萎えて存在しなくなることもありません。

ある時、無神論者と信心深い人が口論しているのをエスターが聞いていると、誰かが「死ねば目を閉じて何もかも終わるんだ」と言いました。エスターは議論しませんでした。話を聞こうとしないのが分かっていたからです。そして、エスターは見えない世界があることを明確に知っていました。

ここでは目に見える以上のものが起きていることが理解して欲しいのです。多くの人が理解していません。だから先ほどの無神論者たちの無理解の元になっています。人は言います。もしわたしがソースエネルギーで死後ソースエネルギーに還るなら、なぜこの世界に生まれ生きるのか?

それはみなさんの拡張をもたらすだけでなく、ソースの拡張をもたらすからです。これが最先端です。今までに起きた全てが存在する場所です。非物質的な神の力として現れた全てなるもの、天国、何と呼んでもいいですが、その全てが時空間のリアリティの最先端のここにフォーカスしているのです。つまりこれが創造です。壮大です。あまりにも壮大なので相応しい言葉が見つかりません。それは具現化された愛なのです。理解できましたか?

相談者:ありがとう。

解説

この世で最も難解といえる質問といえるでしょう。
質問者の疑問は「なぜわたしたちは存在するのか?」ということを聞きたがっています。

先に言っておくと、相談者はエイブラハムの教えを理解しており、存在する理由は「コントラストを経て拡張を経験し、喜びを感じる為」ということは理解しています。

相談者が聞きたいのは「それをしたことで何になるんだ?」ということです。つまり、「宇宙が拡大し成長することで一体何になるのか?そんなことをして一体どんな得になるのか?」ということを聞きたいのです。

しかし、宇宙=神=自分(ソース)と捉えるなら、この問いは「自分が喜びの経験をもっとしたいから」という答えに行きついてしまいます。はっきりした答えなどない、哲学的な質問になります。

ですので、エイブラハムも言葉を選び、答えではなく、視点を変えて説明をしています。わたしたちは自分の頭や経験で理解できることしか理解できないからです。自分の理解に応じて、宇宙の本位は分かります。でもそれには果てがありません。

例えばわたしたちを創ったのは何か?と聞かれれば「神様」と答え、じゃあ神を創ったのは何か?という問いには「思考」ですと答えます。じゃあその思考はどこから来たんだ、と聞かれると「最初からあった」と言った時点でわたしたちには理解できません。

最初からあった、ってどういうこと?物事の始まりには誰かが何かをしなければ発生しないのに、どうして、思考はそこに最初からあったの?それを創ったのは誰?誰の思考?どうして思考を創ったの?と疑問は膨れ上がるばかりです。

エイブラハムは「あなたは生き、真実を発見してそれを全てに当てはめて理解する方法しかない」と答えています。

そしてこうも答えています。

「初めの思考がどんなものだったかはどうでもいいのです」

ただ、探求するのはムダだから止めなさい、とは言っていません。それは知りたいという願望を止めることになるからです。

そして、人生を全てを味わって、より多くのことを引き出しなさい、と言っています。結局のところ、それ以外に存在理由など何もないのです。

相談者は最後に、「理解した」とは言っていません。答えは見いだせなかったと思います。

「分からない。だから探求し続ける」

これこそが答えなのかもしれません。

まとめ

わたしたちは願望を抱き、その願望に向かって進み、達成して喜びを見いだすために存在している。

なぜそんなことをするのかは、今の理解できる範囲でしか理解はできない。自分の経験から自分なりに見出していくしかない。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です