人の良いところにフォーカスする方法

エイブラハムは人の良いところをみるのと、「もっとこうだったらなぁ」と不満をみるのでは、波動がかなり違うと言っています。
どちらにせよ、優勢な思考が現実として反映されます。つまり、誰かに対して「この人のこういうところ、好きだなぁ」と思うと、その好きな部分がどんどん大きくなって現実として自分に好きだなぁと思うことをたくさん見せてくれます。
一方で「いうことを聞かない」「アイツのこういうところが気に食わない」ということにフォーカスすると、その現実の方を大きく引き寄せてしまうということです。
人間関係では身に覚えのある人が多いかもしれません。例えば、恋愛しているときは相手の全てが愛おしくなるのに、一旦嫌いな部分ができると、相手の全ての行為が嫌になってしまうというものです。
嫌いになってしまうのはそのきっかけがあったのでしょうが、それを続けていると、相手のことを生理的に無理と思ってしまうレベルに達することになります。
ですから、日ごろから人の良い部分にフォーカスする練習をすると良いのです。
でも嫌いなものはどうしようもない
そうはいっても嫌いな人の良い部分を見ようとするのはとても大変です。私自身もどうしても嫌な部分が目について、もちろん良い部分はあるのは分かっているけどそちらに思考をどうしても向けられないときがあります。
そんなとき、効果があった方法があります。それを教える前に引き寄せるタイプには2種類あることを覚えておいてください。
1.似た人同士が引き寄せ合う
2.自分に無いものを持っている人同士が引き寄合う
1は説明は不要です。
2について、例えば真面目な人はふざけて適当にやっている人を許せません。自分ばっかりキチンとやっているのに評価は同じで給料も同じ、許せない、という感じです。
でも深層心理では、「羨ましい」という感情が入っています。世の中の不倫なども同じですね。「羨ましい」と思っているから叩くわけです。「自分ばっかりイイ思いしやがって!こっちはちゃんと浮気せずに生活しているのに!」
つまり、本当は自分もやりたいのにできないことをやっている人が羨ましいのです。
一方、適当な人は真面目にやっている人を見ると劣等感を感じます。だから真面目にやっている人を見ると、内心穏やかでは無いハズです。
(ちなみにちゃんとやっている人、適当な人というのはあくまで本人の思い込みの部分です)
パンを売る人と買う人がいて成り立っている商売のようなものですね。
相手はわたしの鏡だ
さて、ここで本題なのですが、相手を「わたしの鏡だ」と思います。つまり、嫌だなぁと思っているのはわたしの中にあるものだから、わたし自身が自分のそういうところを許して好きになれば問題は解決するということです。
わたしの例を挙げると、子供に「遊んでないで勉強しろ」といってもまるでききません。その所を責めるということはわたし自身が「仕事しないで遊びたい」と思っている証拠だということです。だから自由にしている子供に腹が立つ。先ほどの不倫を叩くのと同じです。
そこで子供を自分の鏡であると想定します。すると鏡なので、自分自身のことだと気が付けます。そこで、わたしの本当の望みを見ます。
そして、自分が仕事をしないで遊んでいることをイメージします。実際に遊べたら仕事しないで遊び尽くしてみます。子供の気持ちも少しずつ分かってきます。そうすると不思議とだんだん気にならなくなってくるのです。
これは本当にそうなってきます。そうすると、逆に子供の良い部分にフォーカスできるようになってきます。すると、あれほど毛嫌いしていた子供のことを愛おしくなってくるのです。
この人間関係の極意は職場でも夫婦でも親子でも使えるものです。相手の良い点にフォーカスし、できないときは鏡だからわたしが変われば相手も変わる(ように見える)となります。