求めよ、さらば与えられる

「求めよ。さらば与えられん。」
聖書の有名な一説ですが、エイブラハムも同じことを言っています。

これを聞いて私たちは、「いっぱい求めてきた。でもぜんぜん与えられない。」と思います。

ではなぜ求めても与えられないのでしょうか?

与えられなかった経験が信念として残っている

1つの理由として、これまでに求めたけど与えられなかったという経験を何度もしていて、その思考が信念として残っていることが挙げられます。

子供のころには「アレも欲しい」「コレも欲しい」などと要求しある程度は成功し、ある程度は失敗しています。

引き寄せ的には失敗というよりは、手に入れるまで思い続けることをしなかったという方が正しいかもしれません。

このような経験をつみ重ねると、「望んでも手に入らない」という思考が生まれ、固まって信念になります。

例えば、おもちゃを親に買ってもらえなかった。
犬を飼いたかったけど許可してもらえなかった。サッカーをしたかったけど習わせてもらえなかった。

親の経済的な理由、時間的な理由、教育的な理由、いろいろあるかと思いますが、これが重なると「欲してもどうせ手に入らない」という観念が生まれます。

そうなると、求めることが無駄。ということになり、酷くなると求めるものは逆に手に入らないから望まないでおこう。と思うようにさえなります。

問題は最初の思考、求めても手に入らなかったというブロックを取りのぞくことです。ではどうすれば取り除けるのでしょうか?

望んで手に入る経験をたくさんする

一番スタンダードな方法は望んだものを自分に与えることからはじめます。「~したい」ということをピックアップし、今できることから順にやっていきます。

欲しかった服、食べたかったもの、行きたかったところ、やってみたかったこと。昔より大人になった自分なら、自分自身で叶えることができることも増えているはずです。

そして、達成したら「よし、やっぱり望んだら手に入るんだ」と意識して確認することを繰り返すことです。

それを繰り返すと、だんだん「求めれば叶う」という思考が強くなり、その通りになってくるはずです。

過去の自分にしてあげる

もう1つは過去の自分をイメージして、自分が親になったつもりでいろいろしてあげて、満足するという方法です。エイブラハムは過去を顧みることを推奨はしていませんが、1つのやり方としてはアリかなと思っています。

まとめ

いずれにせよ、求めたら手に入る、という想いを何度も繰り返すことで、望みが叶いやすくなるということです。大事なことは意識すること。叶ったら嬉しいと思うことをすることです。

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